『4m』
爽やかイケメンの皮を被ったノンデリ、三日市から回ってきました。彼が将来同期の結婚式で花嫁の顔を見て「どこにでもいそうだよね〜」と言わないか不安で仕方ありません。
輝かしいグラウンド。スタンドはみんなそこに夢中で、プレー一つ一つに歓声が湧く。時たまそれはため息に変わり、最後の瞬間は両スタンドのそれが入り混じる。観客の視線も、カメラも、来年以降ビデオ越しに見るラクロッサーたちの視線も、全部集めるグラウンド。
そこから5cm離れたコーチズエリア。そして4m隔てられたベンチ。ベンチメンバーの中で唯一、僕はそこから出ることができずに、4年生のリーグ戦を終えた。そのたった4mは、あまりに大きなもので、僕の4年間では、越えることができなかった。
1年生からしたら、試合にも出ていない4年生で、名前だけ知ってるくらいの存在。自分が1年生の時もそういう先輩はいたけど、正直興味も関心も湧かない存在だったから、きっとそうだ思う。でも、そういう部員にもアップダウンの4年間があって、そして何より、君たちもそうなる可能性が大いにあるということを考えの中に入れておいてほしい。そしてそうならないために、必死で頂上の見えない山を登ってほしいと思う。
2年生の時が1番楽しかったなあ。塾バイトに捧げかけてたけど、同期や先輩のおかげで部活に復帰できて、コロナ期間に毎日壁に行くようになって、こうたに送ってもらったユースのレクチャー見てパスフォーム直して、自主練期間もたくさん行って内田と裏11して、そしたらちょっと上手くなって、正規練始まったら毎日成長実感できて、ランシューめちゃくちゃ決まって、評価も上がって、毎日練習行くの楽しくて、練習動画早く上がらないかなあって思って、ラクロス垢も毎日くらい投稿して、また成長して、Bリーグ主力で出してもらって、楽しかったなあ。合同練始まってもランシューは通用して、本間さんにも勝てたりして、先輩にも褒めてもらえて、11色々工夫して、上手くいかなくても楽しくて、今日は何しようってワクワクして楽しかったなあ。
でも、忘れもしない12/20の武蔵戦の、試合前の66で、つっこんで、そして、
僕の楽しいラクロス人生はここで終わりです。
それは怪我したからじゃなくて、怪我を乗り越えられなかったからです。物理的には怪我は治って、プレーできるようになりましたが、怪我は乗り越えられませんでした。怪我を乗り越える努力ができませんでした。
就活で何度も怪我を乗り越えたエピソードを語りました。自信を顔に貼り付けて。『6ヶ月間の離脱を余儀なくされ、技術的な練習ができない分、座学的理解の向上に努め〜』『日本よりラクロスが進んでいる海外の動画を見たり、グラウンドで先輩に教えを請いて〜』
半分後悔が詰まったこのエピソードを実践できていたら、きっとこんな文章は書いていないと思います。
怪我に対する後悔は、豊島くんのスレッドに返信しておいたので、是非読んでください。今アウトしてる人は絶対読んでください。評価が赤津=翼の時があったんです。驚きでしょう?4年生の今、圧倒的に頼れる1枚目と、2年生に抜かされた7枚目、ここまで差がついてしまうんです。
3年生はほとんど思い出がないなあ。怪我期間が長かったっていうのもあるけど、これだけ思い出がないってことはそういうラクロスへの向き合い方だったんだろうなあ。後悔です。
4年生はきつかったなあ。毎日壁投稿とかしてたけど、今見返したらday68で終わってた。ランシューっていう武器を失って、なんか武器作んなきゃいけなかったのに、就活終わってもフィーホ行かなかったなあ。ご飯も死ぬほど食べて体重増やせばよかったなあ。最後頑張りきれなかった後悔が残るなあ。グラウンドでもミスが恥ずかしくて、ミスしないようにプレーして、練習が楽しくなくて、ほんとに練習行きたくなくて、練習動画も見たくなくて、今書いてると2年生の真逆だなあって思って笑えます。クリアリーダー任せてもらったのが、唯一の救いだったなあ。下手くそが言って響くのかなとか思ったけど、自分の存在意義を見出せたし、練習試合で樹がアシストしたときとか、武蔵戦で服部が決めたときとか、得点に関与できてる気がして、ほんとに死ぬほど嬉しくて、ラクロスやっててよかったと思えたなあ。三日市くん最後は助けてくれてありがとう。
OB訪問である先輩に話を聞きました。僕と同じく、Aチーマーだけどほぼ出場機会がなかった人でした。その人は社会人でその反省を活かして活躍しているそうです。僕もそうしようと思いますが、裏を返せばもう大学生としては活かせないということです。後輩たちに少しでも後悔のないラクロス人生を送ってもらいたいので、僕の思いのままを書きました。気持ちの羅列みたいになってますが、少しでも感じ取るものがあってくれたら嬉しいです。
上の方で、頂上の見えない山を必死に登ってほしいという話をしたので、ラクロスというダンジョンの仕組みを書いておきます。頂上はどうせ霧に隠れてて見えません。一橋は何年も頂上の景色を見ていないので、霧はめちゃくちゃ濃いです。見えるのは、今いる場所と、ちょっと上だけです。あとは、下の方に輝いていて、きつい時に力をくれる過去の栄光です。でも過去の栄光は麻薬みたいなもので、ずっと使っていると、その過去にループしちゃって、下に転げ落ちます。あと、1000mとか、2000mのところには、絶対山小屋があります。山小屋には美味しそうなご飯と、ふかふかなベッドがあります。結構頑張って這い上がった人ほど、その山小屋は大きく見えると思います。でも、そこに入ってしまうと、もう山小屋からは出られません。頂上はおろか、そこに置き去りにされます。目指していたのは、2000mの山小屋ではなく、頂上のはずです。山小屋の誘惑には負けず、すぐに上を目指してください。
この前、22serpentsとか、SERPENTS同期とかのピン留めを外して、ひしひしと引退を感じました。元さんが引退の時におっしゃっていましたが、ラクロスをやっていた時の高揚感を感じることはもうできないだろうなと感じてます。メンタンピン一発ツモ三色一盃口の8000オールを上がっても多分叶わないでしょう。先輩が言っていたいろんなことが、4年生になって、そして引退して分かりました。結局そうなってからみんなわかるのです。だから毎年ブログには同じようなことが書かれます。でもそれじゃ遅いんです。3年Bチーマーになってからでは、試合の出方を失ってからでは、引退してからでは遅いんです。
後輩のみんな、頑張ってください。頑張ってるのはわかるけど、頑張ってくださいと言います。来年、活躍してる姿が見たいです。
最後に、同期、先輩、そして後輩、お世話になったコーチの方々、本当にありがとうございました。
特に、リハビリに付き合ってくれたり、一生テーピング巻き続けてくれたトレーナーの方々、本当に本当にありがとうございました。もうスターアップ両側の人はいないと思うので、安心してください。
そして、最初は反対しながらも、結局応援してくれた両親、ありがとう。手術代でも迷惑かけたし、たくさんサポートしてもらったのに、最後試合で活躍する姿を見せられずにごめん。本当にありがとう。
次は唯一僕より単位が残っている川崎です。引退してから毎日徹夜で雀魂をしていた彼の今後が心配です。