私服がおしゃれでカッコいいと部内のスタッフの先輩方からの評価がものすごく高い、長野くんから回ってきました、石田宗嗣です。自分はタイトルにある通り、ラクロスをする意義について思うことを書こうと思います。
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「僕たちはなぜラクロスをするのか」
24シーズンのPVで、この問いを掲げた。
「その答えを探しに、日本一へ」
当時の僕は、そう締めくくることしかできなかった。答えを明示できなかったのは、自分自身が迷っていたからだと思う。
「日本一」 それが僕たちの目標。
でも、ここ10年以上全国大会にすら進めていない。あの強かった24シーズンでさえ、あと一歩届かなかった。
「日本一を取れなかった」という過去。
「どうせ今年も取れない」という無力感。
この結果だけを見れば、辛く苦しい。ラクロスを続ける意味を見失いそうになる。
自分はスタッフで、フィールドで1点も取ることができない。日本一に直接関わることもできない。その事実に押し潰され、言い訳ばかりで、目の前の仕事に向き合えていなかった。
振り返れば、僕は恐れに覆われていた。
審判では評価を恐れ、選手に怒られることを恐れ、ミスを恐れ、信頼を失うことを恐れた。広報でいい結果を出しても上には上がいると感じ、去年の自分を超えられないときは「時間がなかった」と言い訳をした。同期や後輩に「手を抜いてるでしょ」と言われた時も、U20でうまくいかなかった時も、「時間のせい」にして逃げた。
「俺、全然うまくないからさ」
何回言っただろう。
自分を弱いと思いこむことで、本気になれない自分を正当化していた。メンタルが弱いと言えば自分を守れる。審判が下手だと言えばミスも許される。時間がなかったと言えば低いクオリティも正当化できる。
弱音ばかりを吐き続け、同期に迷惑をかけ続けた。
だがそれは言い訳に過ぎない。自分で自分を弱くしていただけだ。
25シーズンの日体戦。勝利の喜びの裏に、猛烈な虚しさがあった。
「やり切れていなかった」
「本気になれていなかった」
その感覚が拭えなかった。与えられた役割をこなしただけの自分に、満たされることはなかった。
24シーズンは違った。
心の底から勝ちたかったし、本気で取り組んでいた。兵藤さんが何も実績のない僕にカメラを託してくれたとき、日本一にふさわしい広報を作ろうと思った。
あのPVを作ったときの充実感は、形容し難い生きている実感だった。
あの時だけは、逃げていなかった。
あの瞬間をもう一度体験したくて、僕はまだここにいる。
本気になれなかった自分のままで終わらせたくない。
評価を恐れて守りに入るのではなく、失敗も評価も全部受け止めて前に出る。
スポンサーを一社でも多く動かす。
ジャッジの精度を一つでも上げる。
広報作品を一つでも本気で作る。
兵藤さんに「部活に誘っちゃってごめんな」と言われたとき、情けなかった。入部したときの情熱を失っていたのは、自分の責任だ。
だが、そんな自分にも、温かい言葉をかけてくれる人たちがいる。
審判仲間の三人、いつでもやさしい広報の先輩方、いつでも芯をつく言葉をくださる審判の先輩方、自分より芯がある後輩たち、そして何より同期の仲間、特に真花。
こんなに素敵な仲間に恵まれて、優秀で尊敬できる友人に恵まれている環境に感謝してもしきれない。この環境を作ってくれたのはSERPENTSだ。僕はSERPENTSを愛する一人として、26SERPENTSのために、将来のSERPENTSのために、少しでも貢献したい。
「日本一を取れなかった」という結果だけを見れば、辛く、苦しい。
だが僕たちには、「本気」になれる瞬間がある。
その手触り感こそが、ラクロスをする理由なのではないだろうか。
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以上、拙いブログを読んでくださりありがとうございました。次は村上くんです。面白くない紹介文で恐縮ですが、本当に「いいやつ」です。彼に数学を教える代わりにもらう予定だったあるものをまだもらってませんが、いつになるのでしょうか。怪我に悩まされながらも、誰よりもアツく、いい笑顔を見せてくれる彼のブログに期待です。

