同期随一のいじられキャラであるうめくんから回って来ました、新4年DFの長野友彦です。
最近彼に春が訪れていると聞き、戦々恐々としています。
まず初めに、日頃より一橋大学男子ラクロス部へご支援・ご声援を賜り、誠にありがとうございます。

怪我に苦しみ、また怪我に救われた
そんな3年間だった
初めての決起ブログで勝手がわからないのですが、23シーズンから順に簡単に振り返ってみたいと思います。
23Cチーム時代
1番夢と希望に溢れていた時期だった。
サマー前あたりからDFのセンスがあると周りに言われ、自分自身でもセンスがあると錯覚していた。
24シーズン
シーズン序盤から怪我に苦しめられ、また先輩との力量の差に打ちひしがれて幻想が崩れていった。
そして商東戦で足首を怪我し、2,3ヶ月アウトした。
この怪我にめちゃくちゃ苦しめられた。ただ、救われもした。
上手くいってなかった自分にとって
「怪我で長期アウトしていた」
というのは絶好の言い訳でもあった。
復帰後も24シーズンでの活躍は諦め、どこか気持ちが入らないままシーズンが終わっていった。
25シーズン
シーズン序盤、Aに入れるかどうかの瀬戸際で、精神的にきつい時期だった。ただ心のどこかでAに入れるだろうと思っていた。
そんな中、1月の評価練、Aに入れなかった。
この3年間で1番きつい時期だったと思う。
そして2月、膝をやり半年のアウトが決まった。25のリーグ戦で活躍する未来が全く見えなくなった。
ただここでも、上手くいってなかった自分にとって長期アウトはある種救いでもあった。
これまでの3シーズン、チームで決められたことはきっちりやり通した。
自主練も筋トレもサボらずやった。
ただ最低限だった。がむしゃらにやって結果が伴わなかった時のことを考えて、最大限の努力はできていなかった。
そして何より
怪我を理由に、上手くいってない自分を正当化していた
26シーズンが始まって1ヶ月ちょっとだが、すでにもっとやっておけばよかったって後悔はある。
ただ、もうラスト1年
やるしかない
毎日の自主練の質も量も、これまでの“最低限”から数段上げた。
様々なことに言い訳をつけては、100%でできてなかった自分から変わる。
その覚悟をここに
昨シーズンまでBにいた自分に、圧倒的実力があるわけではもちろんない。
幹部になろうとも思わなかった自分に、圧倒的リーダーシップがあるわけでももちろんない。
人一倍努力し、個人技術をあげなきゃいけない。
しかし、そんな自分がリーダーシップ、フォロワーシップを率先することに大きな意味があると思う。
まずは得意なグラボやクロスワークの部分だけでもいい
最高学年としてチームを引っ張る
学生日本一へ
続いてはフライヤーの長、しゅうじです。
彼のpvのセンスにいつも感動しています。そんな彼のセンスある決起ブログに期待です。

