デカすぎるゆきとから回ってきました。新4年MGの本岡朝香です。
彼とは大学受験の塾のクラスが同じでした。いつもわたしの前の席にでかい奴が座っていたので板書が見にくかったのを覚えてます。めちゃくちゃ頑張ってると噂な彼の活躍を今後も見守りたいです。
平素より一橋大学男子ラクロス部SERPENTSを応援してくださりありがとうございます。
この決起ブログは誰が読むのか、みんなどんな風に書くのかわからず、なかなか筆が進まず、迫る締め切りに大焦りしています。かなりの駄文ですが、お付き合いいただければ幸いです。

さて、本題に入ります。
①これまでを振り返って
これまでの3年間を振り返ると、印象に残る場面では泣いてばかりでした。
23シーズン
サマーの決勝トーナメント。
負けた瞬間涙が出てきて、あんなに部活辞めたいって言いまくってたのに、泣くほど悔しいと思う自分にびっくりでした。
ウィンターの決勝トーナメント。
なんとなく、行ける気がしていた試合でした。サドンで負けて、現実を受け入れられないままただ泣くだけでした。まさか負けるなんてなあ、、、
あすなろ
サマーとウィンターみたいにいけるでしょ、みたいな気持ちがうっすらあったんだろうなと思います。やっぱり悔しくてめちゃくちゃ泣きました。
24シーズン
Cチームが解体して、Cチームの一員から、SERPENTSの一員という意識が強くなりました。この頃からさらにSERPENTS愛が爆増しました。
えりんさんがつくってくださった観戦文化にわたしも乗っかって、たくさん応援に行きました。チームだけじゃなくて、ラクロスというスポーツもどんどん好きになりました。
滝汗会やのあさんとの面談の中で「普通ならモチベ下がる時期なのに笑」みたいなことを何回も言われたのを記憶しています。
そんな24シーズンは、やっぱりfinal4の景色が頭にこびりついて離れません。
あまりにも泣き過ぎて、一番悔しいはずの4年生に慰められる始末でした。
25シーズン
25シーズンは本当に常に泣いていました。
練習試合で勝っても負けても泣きました。
チームの一挙手一投足に心を揺さぶられ続け、それが涙となって現れていました。
結果、日体戦ではサマーばりの黒歴史ビデオを生み出してしまいました、、、
こうした涙は、わたしのSERPENTS愛の表れなのかなとおもいます。
だからか、獨協戦のお言葉で、泣くなと言われた時はなんで我慢しなきゃいけないんだと半ギレでした笑
一方、同時に、こうした場面には必ず頼もしい先輩方がいらっしゃいました。
新人戦で負けて泣いていたときは、母みたいに優しい先輩方に慰めていただきました。
final4で泣きじゃくっていた時は、引退する4年を慰める側に回らせてしまいました。売り子の精算すらままならないわたしを見かねてか、わたしがやるべき作業のほとんどをまいさんが代わってくださいましたし、最後には翌日のCシフトももらおうとしてくださいました笑(本当にご迷惑をおかけしました)
引退ブログでもないのに名前を挙げるのは恐縮ですが、とくにえりんさんには本当におせわになりました。(今もお世話になってるけど。。。)
慶應との練習試合で負けたとき、一緒にBupしながらおしゃべりしてくれましたし、final4が途絶えた慶應戦では、駒一のあの階段で声を上げてなくわたしをちょっと笑いながら優しく受け入れてくださいました。
ずっと負けが続く中、春の獨協戦で勝てて嬉しくて泣いた時は一緒にその感情を共有してくださいました。
きっとわたしにとって、こうした涙はその感情を分かち合ってくださる先輩方が拠り所であり、先輩方がいたからこそがむしゃらでいられたことの証で、言ってしまえば下級生としての甘えの表れなのだと思います。
②26シーズン、チームにどう貢献するのか
「泣かない」
これを目標に掲げます。
泣かないことそれ自体は貢献方法ではないことは理解しています。しかし、メットを並べる、Bupで固まらない、こうしたチームに直接何か与えるものはなくてもその行動を貫くことでチーム全体の意識は大きく変わるように、泣かないでい続けることで自身を変えたいと考えました。
わたしが今シーズン一番必要なものは、これまでの甘えを取り去り、最上級生として覚悟を決めることです。
がむしゃらに努力するみんなを支えられるように。これまで先輩方がしてくださったことを、後輩たちに返していきます。
次はどのTSよりもかわいい悲鳴をあげるまつりょです。もう試合でフラッグを投げられないよう、練習の審判頑張るね!

