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2022

『マンバ・メンタリティ2.0』4年 金詩穏

サーペンツの評価方法は間違ってると信念を貫く男、相浦オーレこと相浦君から回ってきました、金詩穏です。



ラクロスと同期、先輩、コーチ、そして親への感謝を込めて、自分のラクロス人生振り返る形で最後のブログ書きたいと思います


最初にラクロスに出会ったのは、高校1年生でした。たまたまあったラクロス部が楽しそうと思って体験したらどんどんその魅力に惹かれていきました。


金メットに憧れて入った一橋ラクロス部一年生の時は早速やる気に満ち溢れていて朝から晩までシュー練に打ち込んでましたが、全くシュートに関しては伸びず次第にラクロスに嫌気が差してきました。結局、もう辞めようとりょうさんや寺尾さんに相談しましたが、とりあえず休部の形にしてもらいました。


ただ、やっぱりあれだけ好きで朝晩必死で頑張っていたラクロスが恋しくなりショートではなく、ロングで戻ることにしました。しかしロングでは一番下手だったのでウィンターではベンチとして全く試合に出れず応援するのは正直きつかったです。一方、ロング自体は楽しくて練習と増量を頑張れたので、運良くAチームに入れてもらうことになりました。


ワクワクして臨んだ、2年Aとしての練習でしたが孤独で予想以上にきつかったです。もちろんAチームでは一番下手だし、ミーティングでは毎回深井さんに詰められる繰り返しでした。


結果、リーグ戦の慶應戦には出られなかったのですが、一緒にやってきた先輩方が負けているところを見て早くもっと上手くなってチームに貢献したいと思い、コロナ禍で、部の練習がない中一人でもファルコンズに行ったしどこへでも武者修行に行きました。


自分がどんどん上手くなっていくのを実感していく中で、高校の時からあった本場アメリカでプレーしたいという気持ちがまた芽生えてきて、チームの皆に迷惑かけながらもバージニア大学に留学しました。そこでのトライアウトは落ちたら本当に同期に顔を合わせられない緊張感の中、なんとかビハインドとかで盛り上げて合格しましたが、入ってからも、もちろん一からでした。2年Aとして入った時と同じように、まずは周りの信頼を勝ち取らなければなりません。


普段しなかった派手なプレーもどんどん入れたり、誰も知り合いがいない中、部のパーティーにも行ったり、最初は居場所を作ることに必死でした。しかし、段々と認めてくれる人は出てきたし、色々ありましたがやっぱりあそこでプレーできたのは本当に楽しい経験でした。ヘッドコーチのLars Tiffaneyもすごく優しく毎回練習見に行くと声をかけてくれたり、何個質問しても丁寧に答えてくれました。アメリカ代表のクエンティン松井もすごく謙虚で、色んな練習方法や筋トレメニューなど助けてくれました。必死でやってると周りは意外と助けてくれるもんですね。



日本に戻ってくる時は実は少しプレッシャーがありました。やれること精一杯やって戻ってきた以上負けるわけには行かないし、優勝以外は失敗だと言い聞かせてました。しかしながら、全く練習試合を勝たせてあげられませんでした。何度も自分を責めながら迎えたリーグ戦初戦、あの勝利はやっと歯車が合ってきたと感じられる最高に楽しい瞬間でした。


優勝できると信じてました。中央に負けた時もまだ優勝できると信じてました。獨協に最後同点にされた後もまだ勝てると信じてました。これだけお世話になった同期を絶対に勝たせなければと思ってました。だけど、あと一歩届かず終わり、涙が止まりませんでした。

振り返ってみると、韓国代表に選ばれたり、バージニアのトライアウトに合格したり報われたと感じる瞬間は少なからずありましたが、優勝できなければ全て意味はないと思ってました。慶應にも復讐出来ませんでした。Best10にも選ばれませんでした。

ただ最後自然と涙が出てきたのは、やれること全部やってきた証拠だと周りに言われました。

後輩たちは最後勝っても負けても泣いて終われるようにやれることは全部やってください。

コーチ陣、特に橋本さんの指導がなければここまで成長出来ませんでした。

先輩方、たくさん迷惑かけてきましたが、お陰で成長できたことをすごく感謝しています。

同期は本当に休部した時も、アメリカ行った時もずっとサポートしてくれました。同期がいたからこそ、ずっと頑張れました。ありがとう。

最後親にここまでずっと支えてくれて感謝しかないです。

優勝という形で恩返しは出来なかったけど、今後何かしらの形で恩返ししたいと思います。


次は熱いけど実は繊細な男、内田君です。悩みは四肢が細いことらしいです。

#12 金 詩穏

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