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2022

『七転八起』4年濱田凌太郎

MG長としてチームを牽引してくれた奏から回ってきました、濱田凌太郎です。彼女を同期新歓した時は正直ここまで有能MGになるとは思っていませんでした。ごめんなさい。

引退してから数週間が経ちましたが、未だ引退した実感が湧かないというのが正直なところです。思っていることの言語化は得意ではありません。無意識にでもちょっとカッコつけて書いてしまう自分があらわれることに嫌気が指すからです。できる限り気持ちを取り繕わず本音ベースで書いていこうと思います。ブログを書くことで勝手ながら自分の気持ちの整理にもなればいいなと思います。どうぞよろしくお願いします。

自分は所謂サーペンツのエリートコースである2年Aチーマーであったり、誰もが4年で活躍するための十分条件と捉える3年Aチーマーとは全く縁がなく、4年でやっとAチームに入ることができた人間です。ブログとして何を書くことが一番自分が後輩の役に立てるかと考えたときに、ずっと下位層だった立場から現状うまく行ってない人や怪我で苦しんでいる人向けに、需要があるかは分かりませんが僕のラクロス人生を時系列で振り返りながら、最後にまとめて、自分の反省をしつつ、自分なりにどう凌いでいったかを伝えて、それが後輩たちのこれからのラクロス人生に少しでも役に立つ内容であったら幸いです。自分の脳内の記憶を書きなぐるので長くなると思いますがご了承ください。


1年生

アウトを繰り返し、上手くなりたいとは思っていても特に何も考えずにこなすだけだったシーズン 

先のことはあまり考えず、こっからっしょ、と気楽にいたシーズン。


何でサーペンツに入ったか。みんなそれぞれ理由があると思いますが、自分は、どこまで日本一を目指すという今まで出会ったことも考えたこともないスケールで活動している団体で通用するのか、自分を試したいと思ったからサーペンつに入りました。しかし入部して間もなく初めてのミニゲで肉離れをして現実を思い知りました。高校の部活を引退してから約2年半もスポーツをしてない人間が急にこんな激しいスポーツをして体が耐えられるはずもありませんでした。そこから今までしたことのないリハビリ生活が続き、少し復帰してサマーで活躍するためがんばるぞと思った矢先に再度肉離れ。合宿、サマーというイベントを外から眺める。フルコートになってからもアウトをするも、何とか粘りウィンターには辛うじて出方を確保。といった半分ほどはアウトしていたシーズンでした。当時は自分なりに頑張っているつもりでしたが、今思えば怪我を言い訳に、その中でできることを探す分けでもなく、部活が週3程であった高校時代に比べれば頑張っている、という何とも次元の低い自己暗示をかけていたなと思います。真面目に取り組んでいる部員との差は歴然でした。


2年生

コロナと怪我が相乗効果を生み、実質1ヶ月もラクロスしていないシーズン

このままでは俺のラクロス人生終わると危機感を感じ、自分と初めて向き合ったシーズン。


合同練が始まり、心機一転がんばるぞと思った矢先、肩を痛めて即アウト。またアウトかよと思ったらコロナが流行り活動停止。個人技術を伸ばすチャンスや、と思い当時憧れていた切れきれダッチ系男子を目指すべく、固いコンクリートの上でずっとダッチ練習していたある日膝に激痛が走りランナーズ膝になりました。萎えはしましたが活動停止期間であったためダメージは少なく安静の日々。2か月ほど経ち、やっと復帰やと思って励んでいた自主練再開2日目に先輩から激痛チェックを食らい人差し指の靭帯損傷。何で俺だけこんな苦しい思いをと当時は途方に暮れていましたが、今思えば体の入れ方、クロスの隠し方の甘さというただの技術不足が招いた怪我だったなと思います。絶望しながらリハビリを進めていくうちに活動再開の許可がおり、活動再開。自分も何とか復帰し練習に参加した初日か二日目のミニフィジで手首を痛める。まあ大丈夫だろうと思い練習に参加するも悪化しアウトすることに。1ヶ月弱経って無理やり復帰するも、1週間後にまたも手首負傷でアウト。この時点で10月にもなろうとしているころ。1年の短期間に5回も怪我をしたことでメンタルはかなりやられていました。この時、遅すぎますが初めて自分の今置かれている状況、これからのラクロス人生について真剣に考えました。すると自分が非常にまずい状況にいることを痛感しました。クロワのような基礎技術もなければ、足も速くなくATとしての武器なんて何もない。ウィンターが55だったこともあり、66もほぼやったことない。同期には既にAチームで頑張っている奴やBチームで成長し続ける奴がいる。自分は1年の時から全然成長していない。このままだと4年になってもAに上がれずにチームに何の貢献もできないお荷物になる。と考えたら居ても立っても居られなくなり、自分が活躍するためにはどうすればいいのか熟考を重ね、後で詳しく書きますが、接点ゴリゴリ系ATを目指すことを決意しました。それからはやっと人が変わったかのように、手首に負担がかからないよう自分で考えた自主練や週5のスクワット(筋肥大のことを考えればよくなかったのかもしれない)や増量に励みました。

しかし現実はそう甘くありません。10月後半に復帰できることとなり、Bチームでこれからのし上がってやると思った矢先、コーチからC復帰を言い渡されました。2年Cチーマーの誕生です。今でもそのLINEを見た時の何とも言えない絶望感は脳裏に焼き付いています。その時のBチーム状況として次勝てばFinal4行けるという感じでしたので、僕は簡単に言うと要らない存在だったのでしょう。それを告げられた日は絶望しましたが、次の日から見返してやるという想いでより一層やる気満々で練習に励みました。同期には見栄張って、完全に回復するまではCでリハビリするわ~的なニュアンスで伝えていましたが、きちんとコーチから告げられていました。ダサいですね。この時の唯一の心の支えは同じくC復帰を果たした相浦くんでした。ありがとう。共に頑張りましたね。基礎技術がままならなかった自分にとってCチームでも吸収できることは多く、コーチの判断は妥当なものであり、今思えば大事な期間だったなと思います。そうこうしているうちにシーズンは終了しました。


3年生

どうやって接点系ATとして活躍していくか、もがきながらも着実に成長できたシーズン

今までの反省を活かし、初めて一年間大きな怪我をすることなくラクロスできたシーズン


自分の目指すべき選手像というものが定まり、実現していくために色々チャレンジした合同練期間。今までまともに練習してこなかった期間が長いだけあり、自分で仮定をたてて試すことで、すぐ成長していることが分かり凄い楽しかったのを覚えています。そんなこともあり挑んだ最初のAB分け評価練。ちょっと期待していましたがそこには残酷な現実がありました。自分が上手くなっていると思っていても、当たり前ですが他の人もその期間に上手くなっています。そんな簡単に序列を覆せるほど現実は甘くありません。その後何としてでもAに絡んでやると努力しましたが、シーズン通してAに上がるどころか、ATとしては自分だけ1度もグレーになることもできずもがき苦しんでいました。かといって何もBで成長していなかったかというとそんなことはありません。基礎の徹底、自分が武器としたい1on1の縦続といったものを行い、徐々に練習試合でも得点が取れるようになっていって、自分なりに確実に上手くなっている自信はありました。例年ならA,Bと練習日程が異なるところ、わざわざA,Bを同じ日程にしてくださり、リーグ戦期ギリギリまで1on1などの大事なメニューをAB合同にしてくださった昨年の幹部陣には頭が上がりません。そのおかげでBにいながらも常にAのロング陣と勝負することができ、自分の足りないところがより鮮明に出てきたと思います。本当にありがとうございました。Bで伸び伸びプレーすることができたのも、勇矢さん、小池さんのおかげです。改めましてありがとうございました。そんなこんなで気が付いたらシーズンが終わっていました。


4年生

今まで辛かったことがかすり傷と感じるくらい苦しくも一番充実したシーズン


合同練が始まり、またもや試練が待っていました。自分では少し見えてきたと思っていた同期の背中がまたも遠くに感じるくらい、昨年Aで活躍していた人達は上手でした。しかし成長するチャンスと捉えエゴを出すことに注力し武器を磨くことだけを考えました。無事Aには入ることはできましたが、ある日66でミスを連発して、ボールアップの時凌に「わかっていると思うけど、このままだとリーグ戦出せないわ」と言われた時はレベルを考えれば当然ではありましたが大変ショックでした。しかし言われたことで今まで感じていたモヤモヤが晴れ、逆に失うものはないとギアが入った瞬間でもありました。そのおかげもあってか新歓期には評価が上がりスタメンになることができました。しかしすぐ評価を落としあっという間に次の評価練では序列を落としました。完全に慢心が生んだ結果だったと思います。ラクロス人生うまく行かないことが多すぎて、上手くいっている時にどうすべきかのノウハウが欠如していました。リーグ戦前最後の評価練でも覆すことはできず、悔しい気持ちになりましたが、チャンスは必ず来ると信じ、日々を戦っていました。するとなんということでしょう、突然自分にチャンスがやってきました。チームのことを考えればあまりよろしくないことではありましたが、ライバルたちが怪我をして僕が試合に出ることが決定的となり、ここで幹部に俺がスタメンにふさわしいことを証明しようと強気で臨みました。するとどうでしょう、しっかり自分の特徴をだして結果を出すことができ、それ以降スタメンとして使っていただき、リーグ戦を迎えることができました。

このように書くと良かったね、と思われるかもしれませんが、ここからが本当に苦しかった。今までの僕は出方が少なかったこともあり、試合に出るときはチームのことを考えず、如何に自分がゴールを決めて爪痕を残すかだけを正直考えていました。チームのためにと言いつつも結局は自分のために頑張っていましたしかしいざスタメンとして試合に出るとなるとそうは言ってられません。試合に出られない人の分まで頑張れなければという責任感、裏は俺じゃなくて凌が全部やった方がチームにとっていいのではないか、3枚目としてどうするのが正解なのか、セットオフェンスが増えていきチームの約束事が増える中で如何にバリューを出すか、といった今まで自分本位でプレーしていた弊害ともいえる悩み事や葛藤があふれ出るように自分を襲ってきました。こうたや凌が必死にチームについて考えてくれているのに、(翼や龍平含め幹部のみんな)自分の悩みはこの次元かと。情けない話です。クリースで新たなバリューを出そうと試みたり色々しましたが、自分との話合いがまとまらないままリーグ戦は終わってしまいました。結局僕はチームを勝利に導ける存在にはなれませんでした。後輩に希望を与える選手になることを目標としていましたが到底及ばなかったと思います。獨協に引き分け引退が決定した瞬間も、自分は涙を流す資格もないとただ呆然としていました。

最初で最後のリーグ戦は楽しかったし、ここに出るために今まで頑張ってきたんだと思えましたが、悔いはないといったら嘘になるリーグ戦となりました。

以上長々と僕のラクロス史を述べてきましたが、その中で後輩、特に怪我に苦しんで周りから遅れを取っていたり、また中々成果が出ずうまくいっていない人に伝えたいことを4つ(多いですね)記したいと思います。


1 武器をつくって磨きましょう それによって他人と差別化を図りましょう

ありきたりかもしれませんが、僕のようなボトム層が上に食い込んで試合に出るにはこれが一番大事だと思います。自分は2年生頃まで切れきれダッチ系ATに憧れていましたが、到底無理なことが分かったので諦めました。2年生の10月頃またもアウトした時にどういう選手になるか考えました。するとショット力や1on1の切れを1番の武器にしている選手が一橋には多く、あまりいないゴリゴリ系になれば差別化できるかもしれない、増量なら努力の分だけ体重として数量的に結果が出てくれるのでモチベも保ちやすいだろうと差別化を図りにいきました。予想より少しだけ脂肪も付いた気もしますが()概ね自分の計画通りに自分のキャラ付けを周りにすることに成功したといえるでしょう。もちろん全部が上手いに越したことはありません。凌は左右どちらからでも裏で勝ってゴールまでいけます。こうたは左右どちらでもショットを決められます。そういうことです。しかし怪我で周りから遅れを取っていたり、今上手くいってない人が全ての能力値を伸ばそうとしても残念ながら難しいでしょう。そういう人はどうしたら使ってもらえるか、自分をどう表現するのかを考え、自信の持てる武器を作って磨いてください。いざそういった下位層に試合などで与えられるチャンスは少ない時間だと思います。多くて1Q分とかです。そういったチャンスをもらった時にオフェンスの話ですが展開役になるほど馬鹿なことはありません。俺はこれができるぞ、さあ幹部よ俺を試合で使う気になったかと1つのことをアピールし続けて下さい。そうして結果を出せば状況は変わっていくはずです。例として僕の今季練習試合を含めた試合を見てみてください。面白いほど似通った得点ばかりだと思います。


2 今置かれた状況でできる最大限のことをし続けましょう

下の層にいる人が評価を覆し、上にいくのは中々難しいことだと思います。自分の中で上手くいった評価練で全然序列が変わっていなかったり、むしろ落ちるといったことを経験するかもしれません。何でだと意気消沈して不満を口にすることも多くなるでしょう。下位層あるあるでしょうが、上手い人のミスは何だかんだ許される、自分がミスした時はめちゃ怒られる、良いプレーしたとしても謎のたまたまでしょ感を周りから感じる。しかし幾ら愚痴をいっても残念ながら現実は変わりません。またミスをしたのか、たまたま上手くいったなというイメージを覆すだけのプレーと結果を出すしかありません。置かれた状況下で必死に自分のベストを出すことを意識して頑張れば周りの目も変わってくるはずです。応援しています。


3ライバルをつくりましょう

後輩のみんなにはライバルという存在がいるでしょうか?僕のラクロス人生を語る上で欠かせない存在がライバルであった、としや君です。身長は同じくらい、利き腕も同じ左利き、どちらも足早くないといった似ているところが多かった。評価もずっと近い位置で追い越し、追い越されを繰り返しながら4年間を同じチームで戦い抜いた戦友です。絶対的に技術を伸ばすことも大事ですが、それと同時に相対的観点も大事だと思います。こいつにだけは負けたくない、絶対勝つというモチベーションは自分が部活を頑張る大きな原動力でした。差別化のことを先ほど述べましたが、スタンシューが上手いとしやと如何に差別化を図るかというのが考えるうえで根本にあったかと思います。同じような境遇の時が多く辛いこともあったと思いますが、一緒に最後までやれて本当によかったと思います。ライバルの存在が自分を高め、成長させてくれるでしょう。是非こいつにだけは負けないという戦友をつくることをお勧めします。(自然とできるものであるとも思いますが)


4未然に防ぐことのできる怪我は絶対にしないようにしましょう

長々しいブログをよんでくれた方ならお気付きかもしれませんが、僕のラクロス人生前半を語る上で怪我というものは切っても切っても切り離せません。アウト村の村長という言葉はもう聞きたくありません。しかし幸いなことに3,4年次には腿かんなどの細かいアウトは何回かしてしまいましたが、長期アウトは一回もせずに過ごすことができました。それは当たり前のことではありますが、怪我をしないように努力したからです。1.2年次の反省から家でお風呂の間に柔軟は必ずやりましたし、交代浴もしょっちゅう行き、身体のあらゆる部位に痛みが出る前にケアをし続けました。怪我を繰り返している人はそれをしないような万全な努力をしていると言えますか?やるべきことをやって起きてしまった怪我は仕方ないと思いますが、そうでない場合も少なくないのではないのかと思います。1.2年次の僕がそうでした。痛みが出ているのにケアしようとせず、気が付いた時には時すでに遅し。ラクロス人生は4年と言いつつ厳密には3年半ほどです。そのうちの1年はとてもでかいです。怪我をしないよう最大限の対策をしましょう。それでも怪我してしまったら、その中でできることを一生懸命やりましょう。偉そうに聞こえるかもしれませんが、僕のように長期アウトするのは本当にもったいないです。頑張ってください。


以上4つのことを述べてきましたが、何事にも絶対的な正解は無いと思います。鵜呑みにせず、参考になる要素があったなぐらいに思って受け取ってもらえたら幸いです。


最後に今まで僕に関わってくれた方に感謝を述べて、このブログを終わらせようと思います。ブログの形式として自分を中心とした書き方をしてしまいましたが、当然ながら自分一人ではここまでやってこられませんでした。


関わってくれた先輩方へ

こんな生意気野郎と接してくれてありがとうございました。是非ともリーグ戦の舞台で活躍している姿を見せて恩返しできたらいいなと思い努力してきましたが不甲斐ないです。新好さんは2つ離れているのに、どうしようもない2年生の時の俺に色々教えてくださいました。ありがとうございました。3年Bチーム時代には船さんと秋吉さんがいてくれて助かりました4年生としてやるべきことをやろうとする姿はとてもかっこよかったです。その他にも色々な方にお世話になりました。改めてありがとうございました。


後輩へ

あまり先輩としての威厳というものがなかった僕であったと思いますが、関わってくれてありがとう。特に2年Aチーマーの成長の早さには驚きました。あ、栗林君はしてないとは思いますが慢心せず頑張ってください。沢山悩んでいると思いますが来年エースとして活躍するのを楽しみにしています。3年生は少ない人数での幹部代として大変だと思いますが、どんなチームになるのか楽しみです。応援しています。


トレーナー陣へ

川村さん、木村さん、学生トレーナーの方々怪我をするごとに大変お世話になりました。特に1,2年の頃は不満や愚痴ばかり言っていて正直うざかったでしょうがそんな俺にも笑顔でリハビリ対応してくれた先輩トレーナーには頭が上がりません。ありがとうございました。


両親へ

何不自由ないといっても過言ではない程のサポートをありがとうございました。頑張れば通えないこともない()距離でしたが、一人暮らしも許してくれてありがとうございます。2人の息子として恥のないよう立派な社会人になって恩返しできればなと思います。ありがとうございました。


同期へ

4年間本当にありがとうございました。みんなと一緒にラクロスできて幸せでした。みんなといた時間があったからこそ、ここまで特別病むことなくやりきることができました。ありがとう。特に幹部陣には頭が上がらないです。こうたは2年Aチーマーならではの僕には想像できない苦悩が沢山あったかと思います。オフェンスを引っ張ってくれてありがとう。凌はSCとしてとても苦労している姿を近くで見ていたのでほんまにすごいです。ありがとう。言わずもがな主将の翼もお疲れ様でした。色々ありましたが翼が主将で本当に良かったと感じます。ありがとう。他の幹部のみんなも尊敬しています。ありがとう。このままいくと同期全員で集まる機会が激少ない代になる予感しかしませんが、それではとても寂しいですね。何年後でもみんなとまた集まって他愛もない会話ができれば幸せです。ありがとうございました。


もう一つの同期へ

おっと忘れるところでした。僕にはもう一つの同期といえる存在が存在していました。昨年SCを務めていた本間君です。彼とは中高と一緒で、部活では先輩後輩という関係です。サーペンツを知ったのも本間が直接的な要因です。本間は中高時代においても勉強もスポーツもでき優しい非の打ち所がない、幼稚な僕が尊敬する存在でした。そんな彼が所属している部活ってどんなんだろうと調べたのがサーペンツとの出会いです。浪人期の僕は自主室で入れ替え戦の速報を見ていたほど興味津々でした。本間がいなければこの団体と出会わなかったと思います。このブログを見ているか分かりませんが本当に感謝しています。三重にいるみたいですが、東京帰ってきたらいつでも誘ってください。暇しています。


その他にもコーチ陣含め、支えて下さった皆様本当にありがとうございました。


そのまま早稲田に行っていたらサーペンツで関わった全ての方と出会うことはなかったと思うと恐ろしいですね。今頃すでに社会人やっていたことでしょう。今ならこの選択は間違ってなかったと胸を張って言えますね。失敗は僕を成長させてくれます。

気が付いたら非常に長い引退ブログとなってしまいました。言いたいことをまとめる能力がないのでこんな長くなってしまいました。ここまで読んでくれた方、後輩がどのくらいいるか分かりませんが、このブログを読んで少しでも感情が起伏してくれたら幸いです。

周りの人々に恵まれ、苦しくも充実した4年間でした。本当にありがとうございました!


次は僕のライバルであり続けたとしや君です。彼はとてもいい奴です。女子が友達のことを、あの子いい子だよーと言う時のいい子とは次元が違うガチのいい奴、ナイスguyです。そんな彼のブログに期待です。


#91 AT 濱田凌太郎


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