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2025

超えた先の景色

『超えた先の景色』



今シーズンも一橋大学男子ラクロス部SERPENTSへの多大なるご支援、ご声援をいただき、ありがとうございました。今後ともSERPENTSのさらなる飛躍のため、皆様の力強いサポートをいただけますと幸いです。



一人称が「わし」のTRとしてなぜか皆に浸透してしまった(ことは一個前の人の紹介でもどうせ書かれている気がするけど)りさから回ってきました、米山寧です。2年生の時はかなり怪我をしていたので、その節はとてもお世話になりました。彼女の想いがこもったアツいブログを冷まさないように自分もこのブログに想いをぶつけようと思います。




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まず始めに。

15年近くサッカーに捧げた中で、特に中学での3年間は自分の人生において大事な軸になっているので少し書かせてもらいます。


地元の街クラブに入団。Jリーグの下部組織とまともに戦い合えるような強いチームだった。

ただ、まだ一回りしかしていない12歳の自分にとってはあまりにも過酷な環境だった。


まず、明らかに自分より上手い選手が山程いる。


スライディングだけでグラウンドを何周もさせられ、両腿の横が血だらけになる。


常に声を出し続けているつもりなのに、全く声が出ていないと怒鳴られ続ける日々。


ランメニューは全員が入るまで何回もやり直し。


試合前なのに走り。速いやつから試合に出れる謎システム。


ゲーム形式の練習で負けると走り。


なんもなくても走り。


両ふくらはぎ攣って倒れても、治して走れと怒られたこともあった。


全国大会に行ったが、出番がなく、コーチに「何も変わってない」と言われたあの日。


とにかく辛かった。練習がある日、学校の6限が終わりそうになると寒気がした。



ただ、強かった。



綺麗に揃ったブラジル体操。

グラウンド内に響き渡る叫び声。

後半終了間際でも前線から激しいプレスで圧倒する。

毎回鳥肌が立った。

技術では到底及ばない、Jリーグの下部組織に勝つことができた理由も納得だった。

これが“強いチーム”なんだなと身に沁みて感じた。

スタメンで出られることはほとんどなかったが、それでも三年間辛い練習を耐え抜けた要因は、この組織の一人であることが誇らしかったからだと思う。


サッカーも勿論上手くなったが、それよりも一人の人間として大きく成長した三年間だった。








さて、ラクロスについて。


結論から言うと、中学の死に物狂いで戦っていた自分を超える事はできなかった。


試合に負けた日の夜は「明日からは誰よりも練習してやる」と誓うのに、誓ったはずのあの気持ちは時間と共に薄れていってしまう。


何回も何回も自分に問いかけ、鞭を入れたが、自分の限界を超えられた日はそう多くなかった。





一年、町田と一緒にノリと勢いで入部。西島もなんか気づいたら入ってた。

新しく始めるスポーツでかなり気合いも入ってた。運動神経はそこそこ良い方だったので、大方うまく行った。サマーでもウィンターでも活躍して二年でAチームに行くんだろうなと思った。


二年、に入る直前の合同練で肩を脱臼。絶対Aチームに食い込めたはずなのに、この怪我はしんどかった。それでも二ヶ月で復帰してBからAに上がる。Aに上がった当日、衝突で足首を捻挫。また長期離脱。ありささんにチェックしてもらう時、足首の腫れ具合からもう長期コースだと悟り、目の前で涙が溢れ出してしまった。また二ヶ月が過ぎ、商東戦直前で再びBからAに復帰。二週間後、商東戦で理不尽タックルを受け、肋骨を骨折。


もう立ち直れなかった。


涙も出ることはなかった。


Bチームで楽しくやりたいと思うようになった。一年の時に描いていた理想の自分はもう非現実的になった。



三年、大きな心の動きは無かった。

勿論、Aチームで試合に出る責任とか、四年生を勝たせたい想いとか、のんくんやはるとに評価を越されて必死に取り返そうと努力した瞬間はあった。大きな怪我もなく、レベルの高い環境でラクロスをさせてもらった。ただ、劇的に変化する訳ではなく、少しずつ成長した一年だった。



四年、プレーでチームを勝たせなきゃいけない立場になることは分かっていた。自主練も筋トレもチームで決めたことはやったし、ストーリー投稿も欠かさなかった。重い腰を上げて、自分に打ち勝った日は四年が一番多かった。チームを背負う学年として誰よりもスローガンである「超えろ」を体現しなきゃいけないと思った。

心の底からリーグ戦は勝ちたかった。日本一を目指しに行った。努力もした。


それでも日本一どころか、一勝が果てしなく遠い。


リーグ戦に負けた日に行く壁当ては、どうしてもその日の嫌な記憶が頭から離れないから、ベンチに座って何も考えないようにした。

なのにどうしても視界が滲んでくる。

他の事が手につかなくなる。

それくらいリーグ戦で勝てないということはとても悔しく、苦しかった。



もうこんな想いは絶対にしたくないと思うのに、

毎日120%を出し続けられたかと言われたら自信を持って頷くことができない。

その時は自分の精一杯を出しているつもりだった。慶應戦で負けて日本一が無くなっても新たな目標を決めてやってきたつもりだった。でも今こうやって自分を振り返ってみると、どこかにまだ甘えがあった気がした。


だから、「覚悟決めて、死ぬ気で頑張ったから日体戦の勝利に繋がった。」なんて綺麗事は書く事ができない。


自分を誇りに思えるほど、ラクロスに夢中になれなかった。


理想の自分にはなれなかった。


理想の自分を“超えた先の景色”を見てみたかった、

と今振り返って少しばかり思う。

 

今シーズンのこの結果はとても悔しいし、あの一点が、あのグラボが、あのウィングが、と後悔する事は多々ある。他力本願で一部に残留するチームになってしまった事は情けなくて仕方がない。


「失敗は成功のもと」ということわざがあるが、リーグ戦において失敗している暇はない。失敗を一週間で成功に繋げられるほど、ラクロスは甘くない。


リーグ戦前にどれだけ自分に打ち勝てるか。 


リーグ戦前にどれだけ自信を持てるか。 


それが大事だと感じた一年だった。






ただ、何よりも一番伝えたいのは、この仲間たちと本気で戦えたことが間違いなく自分がラクロスを続けるモチベーションだったということ。


リーグ戦の大事な一戦、苦しい一戦を背中で引っ張ってくれた先輩達。


こんな自分に期待して想いを託してくれる後輩達。


プレイヤー以上に喜んで悔しがって、同じ目線で戦ってくれるTS達。


不甲斐ない自分達とでも、最後まで一緒に戦ってくれたコーチ陣。


言わずもがな、4年間切磋琢磨し続けた同期。


本当にいい仲間に出会えた。これがSERPENTSに入部して良かったと思えた一番の理由だ。






こんな自分がどれだけこの組織に貢献できたか分からないけど、もし自分の得点に、日体戦の勝利に、少しでも心を動かしてくれた人がいたなら幸せです。




大学最後の青春を楽しみながら乗り越えていってください。これからのSERPENTSを心から応援しています。






最後にお世話になった人達にメッセージを。



両親へ

金銭面から生活面まで色々と支えてくれてありがとうございました。二人の支えがあったからこそ、楽しく学生生活を過ごす事ができました。

まだ迷惑をかける事が多いと思うけれど、少しずつ親孝行できたらなって思ってます。

これからもよろしくお願いします。


同期

四年間ありがとう。ここまで頑張れたのは同期みんなの存在がかなり大きかったのは言うまでもないです。

全員が仲良くて、他の学年に比べても退部者が圧倒的に少ない、この結束力のある学年に入る事ができて本当に良かったと思います。これからも定期的に会いましょう。


後輩

四年生が情けなく、君たちの力に頼らざるを得なくなってしまったことは申し訳ない。生意気な後輩が多かった気がするけどとても楽しかったです。啓、範英、康太、1番関わってきた後輩達だからこそ来年は特に応援してます。遊びはいつでも誘ってね。


町田

主将お疲れ様。そして、ラクロスを一緒に始めてくれてありがとう。

町田がいなかったらラクロス始めていたか分からないし、まず一橋を目指し続けていたかもわかりませんでした。

これからも長い付き合いになるだろうから、よろしくね。




ゆっくり書きたいところですが一人一人書いていると長くなってしまうのでこの辺で引退ブログを締めさせていただきます。



長く、拙い文章にはなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。




次は、いつも汚いのに何故か潔癖症のけいしょうです。

彼は長い長い怪我を乗り越え、FOとしてチームの要になってくれました。

おもろい奴なのでこれからも定期的につるんであげようと思います。

普段は部内で1番と言って良いほどアツいオーラを出さないクールなこの漢のアツいブログに乞うご期待。



#6 OMF  米山寧

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