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2018

日記リレー 2年 藤本耕之佑

2018年も、もう後半戦。皆さまいかがお過ごしでしょうか。


桃太郎王国の奇跡こと、原田大輔くんからバトンを受け取りました、2年MFの藤本耕之佑です。





さて、今回はせっかくなので、スポーツ遍歴を中心に自己紹介をしてみたいと思います。よく読んで、会話のネタにしていただけたらとても嬉しいです。





まず生い立ちから。


1998年3月9日、名古屋市で生まれました。

まず、3月9日に注目ですよね。

レミオロメンさんが歌を作ってくれてます。





冗談はさておき、幼稚園の頃から球技に熱中し、ドッジボールでは愛知県三位になりました。





小学校に上がると野球にハマりました。

アライバに憧れ、今は亡き中日の全盛期に熱狂しました。

体はとても小さかったですが、そこそこ上手くなれました。

キャプテンを務めることもありました。






中学のころはバスケ部に入りました。

野球部もサッカー部もなかったので、割と消去法でした。

そこは女バスの天下で、男バスは外グラで練習することもしばしば。

まぁ不真面目な集団であまり練習という練習はした記憶がないぐらいですが。

ちなみに、3年AT杉浦くんとは同中学の同期です。






高校に入るとハンドボールを始めました。

この決断は、間違いなく人生を大きく左右する決断だったと感じています。

強い集団は一目置かれている。

そのしっかりとした組織の中でで揉まれ、競い合う。

その過程でのみ、自分は成長できると知りました。

いい意味で、長いものに巻かれることが自分にとってプラスになると感じました。

とにかくかっこいい集団でした。

顧問、先輩後輩、そして同期に恵まれて、本気で全国大会を目指せる環境で2年間競技に没頭できたことは、本当に幸せで、かけがえのない経験となりました。

ちなみに、3年MF蔭山友晴くんは同じ部活の先輩で、ストレッチのペアでした。






そして、高校時代部活などに明け暮れた私は浪人しました。

まあ負け惜しみではないですが、同期の7割が浪人したのでむしろマジョリティで楽しかったですけどね、ははは。

そこでもたくさんのことを学びました。

一番は、学問に王道はない、ということ。

とにかく時間をかけて、何度も悩んで、何億問と解いて、目に見たもの、聞いたものは全て覚えて、しらみつぶしに知識を蓄えて行く。

本当になにかを極めようとするならば、これしかないのだと、これが一番の近道なのだと、切に実感しました。

なにをするにしても、これは共通すると思います。

もちろんスポーツにしても。

ただ、勉強に関して言えば、脳のメカニズムをしっかりと理解して取り組むことがなにより大切で、これが効率をあげるということだと思います。







そして、大学ではラクロスを始めました。

とにかく、一橋で「かっこいい」集団はラクロス部以外見当たりませんでした。

この組織のなかで、もがき、苦しみ、成長する。

引退した時、必ずや大きく成長した自分がそこにはあると信じていられるからこそ続けられる。

そういった意味で、自分はまだ本気で学生日本一を目指せていないのかもしれません。

ただ、強くて当たり前のこのサーペンツにおいて、学生日本一を達成できずに自分の最高の成長はない。

そこには必ず妥協があり、甘えがある。

そう感じ始めているのも事実です。


いつまでたっても自分を突き動かすのは泥臭い欲望、自分のための欲望だなと、悲しくもなりますが、これが自分の本心です。



自分が楽しむため、自分が成長するため。



そのための最高の手段として、ラクロスを続けていきます。



次回は、ぼくと同郷のナンパ師、住田大成くんです。お楽しみに。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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