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2022

『誰がために』4年 豊島拓未

最近順風満帆な生活を送っている永野からバトンを渡されました。世の中には追い風と向かい風があるわけですが、僕と一緒に向かい風を受けていたはずの彼がいつの間にか風を味方につけていました。このまま上昇気流に乗ってほしいものです。





さて、とうとう自分にも引退ブログの順番が回ってきてしまいました。あまり自分のことを周りに打ち明けないタイプですが、最後くらい僕がラクロス部に入るまでと入ってからのエピソードを綴ろうかと思います。



拙く長ったらしい文章になっていますが、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。

※何度も書き直ししてるうちに超大作が出来上がってしまいました。スマホの充電切れには注意してください。電車に乗りながら読んでる方は乗り過ごしにお気をつけください。








「なぜラクロス部に入ったのか」




僕にとってこの問いに対する答えは高校時代の経験にあると思う。




高校では野球をやっていた。甲子園を目指して学校生活のほぼ100%を野球に捧げる日々だった。




しかし、高校最後の大会は初戦で負けてしまった。





しかも自分のエラーで負けた。






自分がチャンスで打てなくて負けた。






あまりにもあっけなさすぎて、申し訳なさすぎて、チームメイトは泣いている中、僕は涙すらも出てこなかった。






毎日毎日頑張って練習してきたのに結局は活躍できずに終わったのか。そう思うと同時に、野球に対して限界みたいなのを感じたのを覚えている。今でも、できるならばこの試合に戻りたいと思うほどだ。






野球から離れた後の時間はそれなりに楽しかった。部活特有のプレッシャーから解放されたからだろう。受験勉強もやったらやっただけ、点数という目に見える結果で成長を感じるから苦にならなかった。そういう意味では浪人生活も自分にとって悪いものではなかったと思う。






大学入学後、特にやりたいことを決めてなかったので、サークル・部活問わず色々な団体の新歓に参加した。そんな中である日ラクロス部の新歓試合を観に行くことになった。






単純にかっこよかった。そしてなぜだろうか、1年半ぶりに高校の時の悔しかった記憶がフラッシュバックした。こんな心が揺さぶられるような新歓は他の団体を見渡してもサーペンツだけであった。





また、この部活に入れば「日本一」という「甲子園出場」よりも高いモチベーションで頑張れることが分かったし、このスポーツなら自分は活躍出来そうだと直感的に感じた。






そう。「自分が活躍して高校時代の悔いを晴らす」というのがサーペンツを選んだ主な理由だ。活躍することで自分自身が幸せになりたい。そして、自分が強い選手になれれば必然的にチームは日本一になれるはずだと思った。





入部してショートを持ち、何度も何度もシュートを打ち、馬鹿みたいに素振りをした。あの頃は本気で得点王を目指して頑張っていた。




ただ、現実は厳しいもので、ステップワークが皆無な僕はフィールドでの活躍が難しくなっていった。徐々にDFが抜けなくなり、シュートは良くても、そこまで辿り着くことができなくなり焦っていた。





そんななか、元さんから西生協でゴーリーになってほしいというお話をいただいた。ショートの時からキャッチには自信があったのと、このポジションでしか自分が輝ける道はないと藁にもすがる気持ちで、即答で引き受けた。実際ゴーリーに転向して2日目のフィーホで当時Aチーマーのショットを止めて、照さんとかに褒められた時には「いける!」と確信に変わった。





"自分が活躍する"ために、僕は学年ごとに目標を立てた。



1年:「関東ユースなどの代表に選ばれる」

2年:「リーグ戦ベンチ入り」

3年:「スタメン」

4年:「世代No. 1ゴーリー」




結果から言ってしまうとこれらの目標は全て達成できなかった。




ただ、1年の時は馬鹿みたいにシュートを受けたし、2年の時は脅威の13連勤を記録するなど必死にラクロスに打ち込んだ。3年のシーズン序盤に靭帯を怪我したが、ほぼ毎日クソ遠い病院にリハビリしにいって復帰を早め、練習試合では結果を残せた。自分で言うのもあれだが頭も使いながら結構頑張ったと思う。




それでも目標には届かなかった。特に1、2年の時はAでチャンスをもらい、自分なりに足掻いてみたものの、自分でさえも満足いかない結果に終わることが多かった。




途中、部活を離れたり、真面目に練習や筋トレに取り組まない同期を見て「本当にこんな組織が体育会名乗っていいのかよ」とか思ったこともあった。しかし、平和主義かつ何も果たしていない自分には他人にどうこう言える立場ではないなと思い、特に自分から説得したりはしなかった。とにかく自分が満足する自分になることに必死だった。





他人のことよりまず自分に集中する。自分が強い個になることが1番でその先に勝利がある。





4年の途中までは本当にこういう考えだけでラクロスをやっていた。去年の慶應戦に出た時、正直試合に負けた時の悔しさよりも、努力してやっとリーグ戦に出れた嬉しさの方が上回っていた。代替わりの学年ミーティングではありがたいことに幹部に推薦されたが、幹部をやると自分に集中できないし、そんな自分本位なやつがチームを引っ張れるわけないと考え辞退した。





このような思考のまま最後のシーズンを迎えた。「全日本制覇」というこれまでにないチーム目標を掲げたが、冬の練習試合の成績から考えるとお世辞にもそんなものを目指せるレベルではないと感じていた。



歴代のAチームでは考えられないような凡ミス、判断ミスが多発するのをゴールから見てイライラする日々。



「そんなもん全部止めて無かったことにするから大丈夫でしょ」と楽観的に思う自分と、「どんだけ頑張って守ったとしても、自分じゃない誰かのミスで負けるんだろうなぁ」とどこか諦めかけている自分。




3年生である程度楽しい瞬間を味わえていただけに、今シーズンはどうあれば自分は幸せなんだろうか。いよいよ分からなくなっていた。





ただ、ここで自分の意識を変えるターニングポイントが2つ訪れた。



1つ目は春先に行われた代表選考会に落ちたことだ。代表というものにずっと憧れてきてせっかくもらったチャンスだったが、あっさりと落ちてしまった。自分は大したことない選手だと現実を突きつけられた。



2つ目は幹部を担っている同期が苦しんでいることを実感したことだ。彼等のおかげで自分は好き勝手にラクロスやらせてもらっているのに、それに対して何も返せていない無力感に苛まれた。




リーグ戦で確実に活躍できるとはいえない。チームも負けるかもしれない。

そうなった時でも何かチームに残せることをしよう。

(もちろん日本一もMVPも狙っていました。弱気だなぁと誤解を招かないように一応)




この時から僕は「自分のために」ではなく、「チームのために何かできないか」と行動をとるようになった。特にDMFを始めとした後輩の育成に注力した。後輩が幹部には話せないような悩みなどを積極的に聞き、アドバイスを送るようにした(まひろとタカシマにはめちゃ教えた気がする)。部内向けブログもその一環だ。




また、練習試合では「誰かのために戦う」ということを意識した。特に新歓試合の武蔵戦と詩穏が帰ってきた明学戦は印象的だ。




新入生にラクロスの楽しさを感じてほしい。詩穏に成長した姿を見せて戻ってきてよかったと思ってもらいたい。




こうした想いを背負って戦うと気持ちが入るし、何より勝った時の喜びが大きかった。去年の慶應戦で感じた自分だけの喜びとは全然違うものだった。技術面の成長スピードも格段に上がった。





誰かのために頑張るって素晴らしいことなんだな。

そう思えた。






しかし、リーグ戦1ヶ月前に差し掛かっても、チームに対する不満やリーグ戦への不安感が後輩を中心として生じている状態だった。まだまだチームに貢献できることはある。そう思った僕は最後のリーグ戦を


"先輩後輩OB含めみんながサーペンツに入って良かったと思ってもらえるように自分が勝利に導く"

という想いで臨んだ。





休部したり、ラクロスのモチベが下がったり、ベンチに入れなかったり、いい思い出がなかったり。うちの部活には色々な人がいるけれど、そういう人たちのために、少しでもサーペンツという組織に入部したことを、勝ちという結果で肯定させてあげられるような活躍がしたいと心から思った。





学習院戦、横国戦、武蔵戦に勝利し、たくさんの観客やメンバーと喜びを分かち合えた。あまり感情を表に出さない自分だが、得点や試合終了の笛が吹かれた時何回ガッツポーズしただろうか。それくらい昂るものがあった。後輩や同期が成長して活躍してる姿も自分のことのように嬉しかった。






現実味を帯びてきたFINAL4進出。高校時代の苦い思い出、そして20と21serpentsが敗れた慶應にリベンジするためにも絶対駒一に行きたい。










しかし、最終戦の獨協戦で引き分けてしまった。






試合終了残り37秒で追いつかれ、最後のOFを1番後ろで見ている時、






「また高校の時と同じか」






この感情しかなかった。あのショットを止めていれば。結局自分の幸せを自分で手放してしまった。また、獨協戦後多くの人が泣いているのを見て、これを笑顔に換えられる力が自分には足りなかったんだと痛感した。






チームを勝利に導ける人になることってすごく難しいことだなと改めて実感したリーグ戦だった。




高校の時と似たような感情で終わったわけだが、4年間を振り返ると本当にラクロスをやってて良かったと心からそう思っている。4年間積み上げてきた努力とチームスポーツをやる上で大切なことに気づけたことは自分の一生の財産になるはずだ。後輩には是非FINAL4、日本一を獲ってほしい。任せました。




最後に、ここまで部活を続けてこられたのはたくさんの人の支えがあってこそでした。皆さんにメッセージを残して締めようかと思います。




両親へ

なかなか予定が合わず、FINAL4が初ラクロス観戦のはずだったのに負けてしまってごめん。スポーツを17年続けさせてくれてありがとう。また直接伝えます。




先輩方へ

個性豊かで優しい先輩方に囲まれたなかでラクロスできて本当に幸せでした。先輩たちのおかげで僕は自分だけに集中してラクロスできたんだなと4年になって痛感しました。感謝しかありません。

特に、ラクロス部の新歓に誘ってくれた城澤さんと履修とか相談に乗ってくれた早川さんがいなかったら多分ラクロスやってなかったです。ありがとうございました。




後輩へ

絶対日本一行ける。がんばれ。応援してます。




同期へ

引退して気づいたけど、僕はラクロスをすることが楽しかったんじゃなくて、みんなと一緒にするラクロスが楽しかったんだなと思いました。最高の4年間でした。ありがとう!

地方に行ったらいつでも遊びに来てください。




めっっっっちゃ長くなりましたがこれで僕の引退ブログは以上となります。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




次は武井樹くんです。樹とは数えきれないくらいダウンを一緒にやった気がします。

武蔵戦が終わった後の電車で、僕のくだらないお悩み相談にも真剣に答えてくれるナイスガイです。ご期待ください。

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