福永遥斗。赤グローブと共に過ごして来た経験豊富な彼のラクロス人生とはー
今春に行われたSPリーグの1戦。右上からステップを踏み打ったシュートがゴールネットを揺らし、赤いグローブに覆われた拳を握りしめてガッツポーズを決める男がいた。4年AT#15福永遥斗。赤いグローブと共に歩んで来た彼のこれまでのラクロス人生を振り返る。
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小学1-4年でリレーの選手に選抜され、いわゆる「スポーツができるクラスの中心」の少年時代を過ごした。小学5年の時、親の転勤でアメリカへ。中学ではソフトボールを経験し、高校1年で野球部入部のためのトライアウトを受けるも不合格。翌年再挑戦し、50人の中から見事合格、入部を果たした。身体能力に自信をつけた彼は、楽しそうだから、と日本の大学を受験することを決めて帰国。防衛大学を第一志望として、様々な身体能力検査を受験した。結果、胸囲が足りず、不合格。
気づくと12月になっていた。誕生日の前日に私立大の不合格通知を受け、気を遣った周囲から声をかけられない誕生日を迎えた。そうして滑り込みでなんとか一橋に合格。
入部後は野球部や野球サークル、国際部を見たがなんとなく馴染めなかった。そんな時に男子ラクロス部の当時2年寺尾友哉さんから誘われて練習を見学。3回目にして「ここしかないな」と直感で感じ、入部を決意。入部第9号だった。
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「リーダー!!」
ある日の練習で突然現3年MF原田大輔に、そう呼ばれた。呼ばれたこともない呼び名で急に呼ばれて驚く彼をよそに、その日から彼は「リーダー」と呼ばれるようになった。悪い気はしなかった。
そんな彼の様子を見たコーチから、Bリーグを引っ張っていくBチーム主将の推薦を受ける。
「リーグ戦に出たかったから、複雑だったけど楽しそうだなって思って、引き受けた」
それから、彼は目標設定や練習メニュー作成、雰囲気づくりの中心として活動した。彼の部活へのモチベーションはぐんぐんと上昇した。しかし、彼のやる気とは裏腹に結果はついてこなかった。
彼の力が認められ出場した練習試合では、ミスを連発し、ヘッドコーチに怒鳴られ、クリア後彼にボールが渡るとタイムアウト。
上位チーム昇格が決まった時にキラキラしていた彼の目は、試合が終わると、光を失っていた。というのは有名な話だ。
また、彼が中心となるBリーグでは、初戦で点を決め良いスタートを切るも、迎えた第3戦、獨協戦。打ったシュートは1つも入らず、8-9で敗戦。FINAL4への道は完全に絶たれた。
「自分が決めていれば勝てた試合だった。ATとして、主将として、決めて勝ちたかった」
負けたのは自分のせいだ、と自分を何度も責めた。残りの試合をリーダーとして、主将として、チーム内を盛り上げようと無我夢中だった。気づくと、3年は終わっていた。
と、ここまで見ると、
ただの《B主将を頑張った福永遥斗》の話だ。
だがその話をしたいのではない。彼が皆と同じようにラクロスをし、現在上位チームで活躍していることは、当たり前のことなんかではなかった。
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入部直後から、彼は積極的に自主練に励んでいた。だが最初の新人戦であるSUMMERに向けてのαβチーム分け評価の結果は
《β》
自主練してない奴らより評価が悪いことに不満を抱いた。だが、
『αの下位層より、βの上位層の方が成長できる』
育成コーチである熊木啓太さんと島沢隆太さんから言われ、同じくβ評価を受けた現4年FOer#19中島拓海と刺激し合いながら共に自主練に励み続けた。2人は喧嘩してもその日の夕方には中島からの謝罪LINEで仲直り。今でも仲良しだ(今回のインタビューも中島が同席している)。
そうして臨んだSUMMER予選。彼の必殺技「大車輪」(身体を回転させながらGBを拾う)で相手を圧倒し、見事決勝進出を果たした。
だが間に挟まれた合宿の練習中、膝に違和感を覚えた。
《前十字靱帯損傷》
テーピングにぐるぐる巻かれた左膝の動きは不自然で見ていられないほどだった。それでも試合に出たい一心で練習に参加し続けた。
そして、2016年10月8日。左に切り返そうとしたその瞬間だった。ぽきっと内側に膝が折れ、膝から崩れ落ち、そのまま病院に運ばれた。
《前十字靭帯断裂》
《全治最低7ヶ月》
基礎固めの集大成となる大事な時期。携帯に保存したその時の映像を見せながら、彼はこう言った。
「その日1日だけは、部活辞めようって思った。気づいたら親に泣きながら電話してたのだけ覚えてる」
だが実際に辞めたことを考えた時、彼は想像以上にSERPENTSにズブズブな自分に気づく。
「辞めても行くところない、俺にはSERPENTSしかないって思った」
そこから彼の切り替えは早かった。受傷して2週間後には再び自主練を再開した。2017年卒のAT井口真さんにアドバイスをもらって自ら練習メニューを組んで1時間半以上自主練に励んだ。
周囲の心配をよそに当の本人は、意外にも明るく考えていた。
「なんとかなるっしょ」
怪我から2ヶ月経って手術を受けた。同期先輩家族、多くの人が彼に会いに病院を訪れた。部員100人という、仲間の多さを改めて感じ、嬉しかった。
迎えたWINTER。同期に隠れて応援に行こうと準備をしながら、担当の看護師さんに「勝てば、21時くらいに帰ってきます」と言った。すると「15時には帰ってくるでしょ笑」と冗談を飛ばされた。
そして彼がサプライズで訪れて見守る中、16SERPENTSは優勝。新人戦関東制覇を果たした。様々な場面で利用されるその日の集合写真には、松葉杖をつきながらみんなと共に笑顔で映る彼の姿があった。彼が試合前に同期1人1人に宛てたメッセージは、今でも宝物だ。
そして病院に帰宅。時刻は21時を回っていた。
『勝ったんだね〜おめでとう』
担当看護師に言われ、改めて喜びを噛み締めた。
「試合出てる人達に比べたらそうでもないけど、でも嬉しかった」
彼らに刺激をうけ、リハビリに励んだ彼は、2年の夏合宿で全復帰を果たす。その時に行われた2年vs1年のスクリメで、フェイスダッジからのシュートを決めた。
赤グローブの男が帰ってきた瞬間だった。
そして今年。彼は春に行われたSPリーグで3得点を決め、ついにリーグ戦出場チームの固定メンバーとなったのだ。
後1ヶ月に迫るリーグ戦に向けて意気込みを聞いた。
「去年Bで一緒にプレーしてた後輩や同期と一緒にラクロスをするのは最高に楽しい。ちょっとでもこの時間が長く続くように、そして自分の過ごした四年間を良い形で締めくくれるように後悔なく残りのシーズンを過ごしていきたい」
と頼もしい言葉をもらった。
「自分がラクロスに打ち込めたのも親の支えがあってのことなので感謝の意味も込めて、1試合1得点は必ず決めます」
クリース付近にいる赤いグローブの男に注目してほしい。彼こそが「赤いフィニッシャー」、福永遥斗だ。彼の決める華麗なシュートとその後のゴールパフォーマンスにも期待だ。
(文責:4年MG蕏塚さやか)