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2025

貫 MG 中尾円梨

引退後もなおパンプアップしている角田くんから回ってきました、4年マネージャーの中尾円梨と申します。彼とは入部前からの付き合いで、自他共に認めるマブダチです。部活動に向き合う中で、悩み立ち止まった時はもちろん、何気ない日常のやり取りに幾度となく救われてここまで続けられたこと、この場を借りて感謝を伝えたいです。ありがとう。末永く馬鹿してよう。



はじめに、平素より一橋大学男子ラクロス部の活動に多大なるご支援・ご声援を賜りました保護者の皆様、OB・OGの皆様に心より感謝申し上げます。私どもは部を離れますが、残る後輩たちが引き続き日本一に向けて邁進してまいりますので、今後とも変わらぬご支援・ご声援を賜りますよう心よりお願い申し上げます。



さて、私たち25SERPENTSはリーグ戦予選ブロックを1勝2分2敗で終え、先日の法政vs立教の結果をもって1部残留が確定し、引退を迎えました。あれから3週間が経ちますが、私は未だ布団から出られない日々を過ごしています。

最近は大閲覧室で過去の試合を見てはセンチメンタルしてしまい、同期に過去動画を送り付けて一方的に語っています(みんな返信してくれてありがとう)。


生活の軸を失うというのはこういうことで、自分にとって部がどれだけ大きなものだったかということを日々実感しているところです。未だ思考が整理されておらず、長くまとまりのないブログになると思うのですが、お付き合い頂けると嬉しいです。





角田くんが書いてくれていましたが私の断れない性格は昔からで、本当は初めからTRになりたかったのに、新歓でMGが足りなくて困っていると言われTRになりたいとどうしても言い出せず、気がついたら草むらでオレンジボールを拾う生活が始まっていました。


そもそも入部を決めたのも、先に入部していたクラスメイト郡司の半ば強引な同期新歓に負けて見学に行ったことがきっかけでした。1回目で3000円のつり舟を奢ってもらってしまい申し訳なくなり、2回目に練習試合を見に行ったところ、大雨の中東伏見で14点とられて大敗してお葬式みたいな空気を目撃しました。なんだか本当に気まずかったので、その場で入部を宣言しました。試合に負けた直後でも、切り替えて笑顔で新入生タイムをやってくれる部員が本当に素敵に見えたこと、今でも覚えています。


1年の頃といえば誰よりもサーペンツに染まらない生活をしていました。大学生らしい遊び方をしたい時期でした。深夜ドライブしたまま車で練習に行ったり、カラオケオールのまま朝練に行ったり、練習後予定があるからとほぼ私服でグラインドに行き動画を撮っていたり、今思えば大問題児でした。それに比べて今の後輩たちは本当に優秀だし、常識的だと思うのでみんな心配しなくて大丈夫です。


サマーまでは本当に毎日こんなもん辞めてやると思っていたし、一度A練を完全にすっぽかしてしまった時には全部の連絡先をブロックして飛んでしまおうかと割と真剣に考えましたが、MG長が当時の自分には怖過ぎて、ギリギリ思いとどまりました。この時やめてしまっていたらと思うと非常に恐ろしいので、かなでさんに大感謝です。


そんなこんなで周囲からもやめそうと思われていた自分でしたが、サマー予選で慶応に勝った時のことは今でも鮮明に覚えています。この日から以後一度たりとも、辞めたいと考えたことはありません。こんな気持ちにさせてくれた同期や22Cコーチにも感謝の気持ちでいっぱいです。


2年になると上級生練にも慣れてきて、先輩好きな自分にとって部活の楽しさは倍増しました。もうひとつこの時期にあったことといえば、1年時に始めたKODA祭委員との二刀流についに限界が見え始めたことでした。当時自分には1日の中に空いている時間がほとんどなく、朝練に行った後は必ず大学に行って委員会議に出て、欠席した会議の量が多過ぎて追いつけないのでそのまま夕方まで作業し、そのままアルバイトに行って終わり次第zoomミーテを電車で受けてまた朝練、といった日々でした。


部活をしていると、部活以外にやりたいことがある人たちがちらほら出てくると思いますが、結論から言って自分は両立できていなかったというのが正しいと思います。「スケジュール的に詰め込み可能」ということと本当の意味で「両立できる」ということは完全に別物です。自分の場合はより拘束力のある部活に偏ってしまい、常に双方に頭をさげながらギリギリでスケジュールをこなしていただけでした。


授業を片っ端から全部切ってなんとか耐えていましたが、結局自分がやりたかったほどに委員の方で何かを成し遂げられた気はしないし、残ったのは不完全燃焼と莫大な量の単位だけでした。


3年次はKODAを引退して部活1本になり、サーペンツ一色に染まりました。自分自身も部活に全てを注いでいたし、シーズン自体が勢いを持っており、本当にいい景色をたくさん見せてもらいました。いまだにブリオベッカの最強決定戦やファイナル4のハイライトを暇があるたびに見てしまうほど、自分にとっては夢のようなシーズンでした。


代替わり準備が始まると、周りと自分の価値観に大きな違いがあることに気付かされました。自分が来年のチームを考える上で優先したかった条件と周りの方針が悉く合わず、周囲との方向性の違いを強く感じました。かなり保守的で安定主義の自分は、周りからみてあまりに現実主義的に映っただろうし、情熱がないと思われたと思います。FINAL4敗退後、新幹部は25シーズンに向けて動き出さざるを得なかった一方で、自分はオフに入っても慶応戦の日から動けないまま、3年を終えました。


この時期の自分はあまりに方向性を失っていて不安定で、たくさんの人に支えてもらってなんとか続けていれたと思います、当時支えてくれた人には本当に感謝しています。


4年として実際にシーズンが始まってからは、そんな悩みはとっても小さいものだったとすぐに気付かされました。「勝てない」というより大きな問題に直面したからです。特に商東戦あたりからはもう何が何だかわからず、無感情で連勤していました。覚えていることといえば、夏合宿で初日から避難所生活になり禿げかけたことくらいです。クリスマスに横国に負けた時、大雨の中成蹊に負けた時、商東戦で大敗した時も、このチームで勝ちたいのに、自分にできることはあまりに小さく、それも勝利とは本当に遠いところにあり、それが本当に嫌で仕方がなかったです。


何よりいちばん苦しかったことは、日本一を目指せなくなってから「後輩のために早く引退する」が目標に変わってしまったことでした。私が持っていた日本一への気持ちの真ん中にあったのは、1日でも長くサーペンツのみんなと過ごしたい気持ちだったので、そこの矛盾が生じてしまったのがとても悲しかったです。「引退したくない」とも、もう大きな声では言えなくなってしまいました。


日体戦で勝てたことは本当に本当に嬉しくて、試合動画も配信も未だにヘビロテしています。かといって、4年間が報われたみたいな気持ちでは決してなかったです。人の試合結果で引退なんかしたくなかったです。日体戦の日は気持ちが本当にぐちゃぐちゃだったけど、嬉しいよりは悔しい気持ちが強かったことだけは確かです。法政立教の応援の後に泣いたのも、同じでした。




以下、マネージャーをしていて考えていたことを書いておきます。


私は4年間、TSに出来ることの範囲を本当に小さく見積もって過ごしてきました。1番MGという仕事の可能性を全く信じてこなかったし、自分がチームを勝たせるとか思ったこともありません。何より果てしなく無力なこの仕事がずっと大嫌いでした。ゲームが始まったら、所詮は線の中には入れない存在であること。どれだけ試合の準備を頑張ったところでこの事実だけは変わらないし、そこにある圧倒的な無力感も、疎外感も、4年間一度たりともなくなりませんでした。


チームの勝敗を自分に起因させることもまた、烏滸がましくて嫌いでした。だからこそ勝ち試合の時には何にもしていない自分にこんな素敵な景色を見せてくれてありがとうといつも思ったし、負け試合に自分のパフォーマンスに責任を感じて「自分のせいだ」と思うことも、そんなにありませんでした。これがサポーターである自分の限界だったし、この先の視座に私は最後まで行けなかったんだと思います。


ですがMGの仕事は必ず誰かがやらないといけない仕事であって、必ずチームの結果の一部です。日体戦Heartbeatに書いた内容と近しくなりますが、チームの状況がどうであれ変わらない仕事を変わらずやり遂げる、ごちゃごちゃいう前に目の前のことをやる、ということが、自分なりの信条になりました。それがチームの勝利を作るとか日本一に導くとかそんな大層なことは書けないけれど、チームに必要な目の前のタスクに向き合う不変で一貫した存在でありたいと考えて、その基準で動いていたと思います。


その基準に従って最後の1年ではふたつの一貫性を持とうと意識していました。

1つは可能な限り選手と同じ景色を経験しようとすることです。どれだけ遠くても朝早くても他の用事が入っていても、1年間これだけは守って、オフに25サーペンツ全ての練習試合に足を運びました。続けていると、観戦ナイス、と声をかけてくれる選手も増えてきて、意外と気づいてくれている人もいるんだなと思ったし、自分の応援が力になったらいいと思いました。

チームに何らかの影響をもたらせたか・選手の力になれたのかは分かりませんが、この試合で誰が活躍したとか最近は誰の調子が良くてとかそういったことを以前より感じることができるようになって、単純にラクロスを見るのが楽しくなりました。後輩や同期にも一緒に観戦するTSが日に日に増えていき、ひとつ部内に取り組みを残すことが出来たようで満足しています。


2つ目は人がやりたくない仕事を自分から拾うことです。急に入ったシフトや STFからきたスカウティングの募集には必ず手を挙げたし、リーグ戦関係のプロジェクトや部の取り組みには必ず関わるようにしました。仕事を選ぶ時には、みんなが選ばないものを選ぶようにしていました。別に無理していたわけでは全くなく、強い希望のない自分はどんな仕事にあたってもある程度のモチベが保てると思ったからです。正直3年までは自分がMGの仕事に対して情熱が足りないのではないかと悩むことが多かったのですが、4年になって小さな仕事や人が好まない仕事を拾うことにも存在意義があると思えるようになりました。


要するに、みんな同じ思想を持つことが難しいTS組織だからこそ、一人一人が違った存在価値を発揮できると思います。自分と周りの考えが合わないなと思っていたり、自分はこれでいいのかと悩んでしまったりしている後輩がいれば、何か参考になれば嬉しいです。




最後に、全ては書ききれないのですが、4年間関わってくれた全ての人に感謝しています。未熟な自分を支えてくれて、ありがとうございました。


同期へ

本当に大好きで、みんなのことを考えるだけで泣いてしまいます。みんなの頑張る姿が近くにあったから、続けてこれました。同期に笑って欲しくて、これ以上泣いて欲しくなくて、それが一番のモチベーションになっていました。4年間本当にありがとう。先述の通り「日本一になりたい」という想いは自分にとって、みんなと一秒でも長く一緒にいたいという言葉と常に同義でした。これからどこに行っても幸せでいて欲しいし、1年に1回くらいは会いたいです。頑張ってこちらから誘います。


両親へ

恵まれた環境で部活が出来るように4年間支援してくれて、沢山試合を見に来てくれてありがとう。結果は伴わずとも、誰よりも充実した大学生活を送れて感謝しています。ありがとうございました。


先輩方へ

時々連絡をくれたり、ご飯に連れ出してくれたり、話を聞いてくれたりした先輩方にも心から感謝しています引退してもなお気にかけてくれる先輩たちを沢山持てたことが後輩である自分の1番の自慢です。片っ端から声をかけてご飯に連れてってもらおうと考えているので、これからもよろしくお願いします。


沙恵ちゃんへ

私もついに引退しちゃいました。1年前、沙恵ちゃんなしでどうやって部活していけばいいのだろうと本気で頭を抱えたのが懐かしいです。部を離れて社会に出ても、毎日1日1回は必ず話してくれて愚痴も聞いてくれて感謝しています。性格も行動も本当に真逆なのに、価値観の近い部分がかなりある沙恵さんに出会わせてくれたSERPENTSに感謝です!改めて4年間ありがとう。


後輩へ

本当に可愛い後輩に恵まれて幸せでした!名前をあげたらキリがないけれど、プライベートでも話すような後輩数人は自分が本当に心を許すことができる存在でした。思ったことをなかなかいえない自分でしたが、後輩にはかなり正直に話すことができたので感謝しています。今年の1年までは絶対リーグ戦見に行きます!


朝香へ

私のマイタイムを欲しいって言ってくれて嬉しかったけど、割と2ヶ月前くらいから朝香にもらってもらいたいなとずっと考えていました。

朝香がいてくれたおかげで、この1年たくさんのしんどい時期を乗り越えられました。常に1番近くで支えてくれて、味方でいてくれて感謝しています。無理してしまう性格なのはわかっているので、同期と自分を大切に、ラストシーズン頑張ってね。





いろいろ書いたけど、暇があれば私たちは何をどこで間違えたのかを考えてしまう毎日です。もしかしたら最初から力量のある人材が私たちには足りてなかったのか、自分にも何かできたのかなんて考えるけど、それがわかっていたら今ここでブログを書いてたりはしなかったんだろうなとも思います。

だけどやっぱり、サーペンツに入ったことを後悔する日はこれから先も来る気がしません。不思議です。ほんとうに大好きでした。





次はサーペンツのアウトロー担当のひろきです。1年の頃なぜか一緒に行ったエセ合コンで、端っこで一生スラムダンクを読んでいたひろきを最近思い出して、結構面白いです。TSと喋らない代表のひろきが何を考えていたのかが非常に気になります。みなさんお楽しみに!

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